1797年にナポレオンをスケッチしているが肖像画を完成させるには至らなかった。1799年のナポレオンによる軍事クーデターのあと第一執政に就任した彼は、ダヴィッドにフランスの勝利を記念する絵を複数枚描くように依頼する。また1800年にはレカミエ夫人による依頼で肖像画を依頼され、《レカミエ夫人像》を制作したが未知の理由で未完成のままに終わった(ダヴィッドの仕事が遅すぎると思ったレカミエが、1802年に代わりに同様の肖像画を描くようにと彼の生徒の一人フランソワ・ジェラールに依頼したため仕上げる機会を失ったともいわれている)。その後、ナポレオン・ボナパルトの庇護を受けて、1804年にはナポレオンの首席画家に任命されている。縦6.1メートル、横9.3メートルの大作《ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠》は1806年から1807年に描かれたものである。1808年「帝国における騎士ダヴィッド」(Chevalier David et de l'Empire)の爵位を与えられた。1815年のナポレオンの失脚後、ダヴィッドはまたも失脚し、1816年にブリュッセルへ亡命し、9年後の1825年に同地で時代に翻弄された77年の生涯を終えた。